格差社会解消の救世主は人手不足だ
私は元左翼でしたが、「格差社会」という言葉にあまりピンときません。学生時代、海外を旅行していて見せ付けられたのは、アメリカやインド、ブラジルなど、どこもかしこもこれ以上ないというほど「貧富の差」があることでした。
それに比べると日本は「格差社会」には、どうしても思えないのです。
ただ、会社勤めをしていると「同一労働同一賃金」でないことや、いわゆる正社員の中には「全然働いてないのに給料もらっているやつ」がいる、というのはひしひし感じています。
その側面から見ると、格差社会というのは「正社員とそれ以外の雇用者」の問題になります。
というかそれ以外の問題ではないように思えてしまいます。日本にスラム街はないですし、「働いている人と働かない人(ニート・引きこもり)」の問題は格差問題ではなく「働かない人なのか働けない人なのか」「働けないのならどうサポートできないのか」というまた別問題である(当然、格差社会で疲弊して働かなくなったという因果関係もあるのでしょうが)と思うからです。
そう考えると格差問題=正社員とそれ以外の雇用者の問題と思うのですが、それがクローズアップされてしまうと、民進党や共産党の支持母体である労働組合が黙っていないので、左翼的な視点ではあまり言及できせん。
ただ、正社員と非正規雇用が格差問題だとすると確かにソリューションは、
「正社員の特権を奪うのか」
「非正規雇用者に正社員同様の特権を与えるのか」
という2つしかありません。
「正社員の特権を奪いたい」というのが資本の論理ですし、逆に「非正規雇用者の待遇改善」が労働者の論理なのでしょう。
その意味では、左翼が最も嫌う安倍政権やアベノミクスによる「人手不足」が
格差問題解消につながっているような気がします。
結局、景気がよくないと問題ばかりが見えてくるのです。
格差社会ということであれば、団塊世代が中卒、高卒で地方から東京にやってきた「高度経済成長期」には今よりもっと「格差」「貧富」の差があったと思います。でも、経済が右肩上がりだからすべては「うやむや」になり、人はみんな苦労しながらもなんだか「幸せな気分」でいられました。
今、東南アジアの大都会を歩いていて感じる活気はなかなか日本にはありません。「格差社会」の根底には、人口の減少とそれにともなう右肩下がり社会があるのでしょう。
格差社会の本質は、
景気の悪さにある、景気が悪いと格差問題に目がいく、
というのが本日の結論ですが、
景気って「気」とあるように曖昧で、漠然としたもので、
株価が上がっても不景気な人もいれば、景気がよくてもその恩恵にあずかれない人もいるわけで、その部分については、
また今度考えよう!