ooiu通信 

哲学科出身マネー・ライターが考えたこと

奈良-大阪-神戸

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大阪城をジョギング。皇居ほど走っている人はいませんでしたが、めちゃくちゃ走りやすくて快適でした。途中、ジョギング中の吉本芸人さんに散歩のときと朝のジョグ、二度も会いました。大阪でタレントに二度も合うなんて珍し。

 

神戸の南京街もめちゃ混み。f:id:ooiu20160408:20160506165336j:plain

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宝山寺・獅子閣・明治の建物で色ガラスがしゃれています。大阪、神戸に比べると奈良は静かで観光にはちょうどいいです。

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大阪道頓堀はすごい人。10年ぶりぐらいでしたが、タコ焼きと串カツ屋が異様に増えてました。大阪のほうがインバウンドの人が難波、梅田に集中する分、非常に多く感じましたが、彼らのせいか、大阪人が「たこ焼き、串かつ」という大阪文化を逆に意識して、そのせいで店が増えているように感じました。昔、たこ焼きや串かつ食うのに行列なんかしたこと、なかったような。

 

大阪城

 

GWに奈良・大阪・神戸に旅行に行きました。

奈良はいつもお参りする生駒の宝山寺に行き、その後、西大寺と秋篠寺を見てきました。その後の大阪の梅田や難波、神戸の南京街の混雑に比べると、まだ奈良の古寺には訪日外国人などが大挙して訪れるということもなく、時間が止まっていて、特に宝山寺で特別公開されていた重文の獅子閣と秋篠寺の伎芸天(奈良在住でしたがこの寺だけは一度もいったことがなかったので行けてよかった)は、本当に心が洗われました。

 

上本町のシェラトン都ホテル大阪に泊まり、初日は大阪城まで徒歩、次の日の朝は高野山行きは諦めて、朝、大阪城までジョギングに行きました。

大阪城、皇居よりもスケールがでかくて、城壁とお堀の高さは少し怖いぐらいのでかさで、外周は一周5キロということでしたが、朝のそよ吹く風の中、晴天を走りました。

東京42.195km 自由通り

 

 

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いつ恋バス停ロケ地 梅丘-世田谷通り間

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 いつ恋坂道 大田区東雪谷

ウィキペティアによると「東京都道426号上馬奥沢線」というのが正式名称らしいですが、今日は自由通りを走りました。

自由通りは東急世田谷線松陰神社近くの世田谷通りの角にカクヤスがあるところから南に伸びる、それほど大きくもない都道ですが、そのまま南下すると東急田園都市線の駒沢学園前、東急東横線大井町線の自由が丘、さらに東急目黒線の奥沢から田園調布の北側を走って、最後は中原街道東急池上線雪谷大塚にぶつかって終わります。まさに東急線全線を南北に縦断しており、世田谷・目黒・大田区の「東急王国」をざざっと概観できる通りです。

 

この通りを意識するようになったのは、最低視聴率を記録した今年1月~3月のフジテレビの月9「いつかこの恋を思い出して泣いてしまう」(略「いつ恋」)に年甲斐もなくはまってしまったから。本当に年甲斐もないですが、同じ兵庫県出身の有村架純さんのファンだったこともあって、ドラマのロケ地巡り(きも!!)も兼ねて走りました。

ドラマでよく使われるバス停の場面をネットで調べると、うちからも近い、小田急梅丘駅南の国士館大学のそばだったことがわかり、そこは日頃からジョギングコースにしていたので、「へぇ!」とその後も何度もその場所は走っています。

だったら、そこからドラマの主人公たちが住んでいる設定になっていた雪谷大塚まで走ろうということで1度走りましたが、やはりドラマでよく出てくる武蔵小杉の高層ビルが遠望できる坂道や新幹線沿いの坂道には行けず仕舞いだったこともあり、また走ることにしました。

 

梅丘(こちらには駒沢公園通り)から東急世田谷線世田谷駅横の踏み切りを渡り、松陰神社駅南側の商店街を超えて1本目から自由通りがスタート。

上馬を通って走るとあっという間に246の駒沢大学前の交差点に到着。道自体が狭いこともあって、あまりジョギング向きの歩道ではありませんが、246までは人通りもそれほどではなくすぐに着きます。

そこから246を渡ったあたりは、おしゃれなカフェもあり、その先はジョギングファンで賑わう駒沢公園を左に、東京医療センターを右に見ながら、駒沢通りを越えます。

ここからは目黒区に入ります。

目黒区=坂の多い区というのが私のイメージで、「東京は海側に向かって三つの山と谷がある」といつも実感していますが、ここからはまず下り、八雲の交差点で上って、そこからまた下り、さらに目黒通りとの交差点・中根に向かってまた昇りと二度ほど山と谷があります。

目黒通りを越えるとそこからはとても走りづらい、車の往来の激しい歩道のない下り坂が続き、その向こうに自由が丘が見えてきます。

そう「自由が丘は丘といっておきながら、谷にある」というのが自由が丘を通ったときの実感です。逆に、自由が丘を超えて奥沢に向かうところは上り坂になって、奥沢は沢なのに自由が丘から昇らないといけません。

このあたりは区境も入り組んでいて、自由が丘は目黒ですが、奥沢はまた世田谷に戻ります。

ということで、帰りは自由が丘の繁華街をたらたら歩きながら急速しましたが、本当に自由が丘は賑わっています。北側になんかイタリアのベニスを模したショッピングコートのようなところ(LA・VITA というそう)があって、南も北も若いカップルなんかでいっぱいで、人気が高いスポットです。

 

行きはこのあたりはあっという間で、奥沢を超えて、東玉川の五差路を越えると、あとは車の通りも少なくなり、歩道はないものの、かなり平坦な道をどんどん走ると、もうそこは中原街道。「いつ恋」の舞台になった雪谷大塚駅です。

 

駅南側は商店街が2つの分かれていますが、坂道は東雪谷のほうにある、と情報を仕入れてきたので東に。商店街が途切れて坂道を下る感じで呑川をわたると石川台の商店街などを横切ると、そこから、急激な絶壁のような見事な坂が。

そこを上ると、ありました! 「いつ恋」の坂道!(あとでよく見たらこの坂道ではなかったようですが、まぁ、武蔵小杉の高層ビルが遠くに見えるのでその雰囲気を満喫しました。

この坂はまた来たいと思いました

その後新幹線のあるところまで権現坂という坂を下りて、御嶽山駅までロケ地を探しましたが見つからず。断念して帰りました。

ということで帰りは自由が丘をまったりとそぞろ歩きして、駒沢公園の中を通って、帰りました。

 

世田谷、目黒、また世田谷、すぐに大田区。電車で大田区というと、世田谷区の人間には「はるか遠いかなた」という感じですが、直線距離でいうと10数キロで実は、隣接しているのには「なんとも」といった感じです。

 

東京42.195km 品川通り

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品川通り

 

京王線つづしが丘駅の南側から京王線の南側を府中の郷土の森公園まで結ぶ通りで、京王線を挟んだ北側の甲州街道と併走する形で、途中、狛江通り、鶴川街道などと交差しています。

 

<利用コース>

 

 

<魅力>

京王線の府中-新宿間を走るときは甲州街道を走るのが一番手っ取り早いですが、甲州街道は歩道が狭く、交差道路の段差も多いので長距離走るとヒザを痛めてしまいます。そこで、新宿-吉祥寺といったところは、方南通り-神田川沿い、善福寺川沿い、水道通り-井の頭通りといった経路のほうが走りやすいです。環八より西側では、この品川通り沿いか、東八道路沿いが走りやすいです。

品川通りから甲州街道に出てつつじヶ丘-仙川間を行くと、仙川にはスーパー銭湯「仙川湯けむりの里」があって、ここでジョグ終了し、ひとっ風呂でエンドもよくあるパターンです。

品川通りを走っていてもあんまり快感はないですが、多摩川に出たり、川崎や町田のほうまで遠征したり、野川に折れたりする意味で、世田谷周辺ジョガーとしては、中継点&帰り道としてよく利用しています。

 

<今回のコース>

今回は品川通りを通って鶴川街道に入り、多摩川を横断、南武線の矢野口を抜けて、京王相模原線沿いに、途中は三沢川沿い(結構気持ちいい)を走って若葉台小田急支線の黒川を通って、町田いすみ霊園というところまで昨年なくなった親友の墓参りにいってきました。

なくなったあとにも同じ道を通って葬儀がある予定の場所にいったのですが、若葉台と鶴川の間の鶴川街道は山の中に入って走りづらかったので、その後に彼の奥さんからその道を迂回する経路を効いて、黒川の交差点を柿生のほうに坂道を昇り、栗平半導体団地を通って、山越えして墓参りしました。この迂回路がとても気持ちよかったです。

お参りしたあと、また引き換えして、若葉台から京王線で自宅に帰りました。

格差社会解消の救世主は人手不足だ

 

私は元左翼でしたが、「格差社会」という言葉にあまりピンときません。学生時代、海外を旅行していて見せ付けられたのは、アメリカやインド、ブラジルなど、どこもかしこもこれ以上ないというほど「貧富の差」があることでした。

それに比べると日本は「格差社会」には、どうしても思えないのです。

ただ、会社勤めをしていると「同一労働同一賃金」でないことや、いわゆる正社員の中には「全然働いてないのに給料もらっているやつ」がいる、というのはひしひし感じています。

その側面から見ると、格差社会というのは「正社員とそれ以外の雇用者」の問題になります。

というかそれ以外の問題ではないように思えてしまいます。日本にスラム街はないですし、「働いている人と働かない人(ニート・引きこもり)」の問題は格差問題ではなく「働かない人なのか働けない人なのか」「働けないのならどうサポートできないのか」というまた別問題である(当然、格差社会で疲弊して働かなくなったという因果関係もあるのでしょうが)と思うからです。

そう考えると格差問題=正社員とそれ以外の雇用者の問題と思うのですが、それがクローズアップされてしまうと、民進党共産党の支持母体である労働組合が黙っていないので、左翼的な視点ではあまり言及できせん。

 

ただ、正社員と非正規雇用が格差問題だとすると確かにソリューションは、

「正社員の特権を奪うのか」

非正規雇用者に正社員同様の特権を与えるのか」

という2つしかありません。

「正社員の特権を奪いたい」というのが資本の論理ですし、逆に「非正規雇用者の待遇改善」が労働者の論理なのでしょう。

その意味では、左翼が最も嫌う安倍政権アベノミクスによる「人手不足」が

格差問題解消につながっているような気がします。

 

結局、景気がよくないと問題ばかりが見えてくるのです。

格差社会ということであれば、団塊世代が中卒、高卒で地方から東京にやってきた「高度経済成長期」には今よりもっと「格差」「貧富」の差があったと思います。でも、経済が右肩上がりだからすべては「うやむや」になり、人はみんな苦労しながらもなんだか「幸せな気分」でいられました。

今、東南アジアの大都会を歩いていて感じる活気はなかなか日本にはありません。「格差社会」の根底には、人口の減少とそれにともなう右肩下がり社会があるのでしょう。

格差社会の本質は、

景気の悪さにある、景気が悪いと格差問題に目がいく、

というのが本日の結論ですが、

景気って「気」とあるように曖昧で、漠然としたもので、

株価が上がっても不景気な人もいれば、景気がよくてもその恩恵にあずかれない人もいるわけで、その部分については、

また今度考えよう!